【屋久島観光】もう一つのパワースポット宮之浦の益救神社(やくじんじゃ)

益救神社 入口鳥居 神社にソテツの木が!南島っぽい

 

屋久島の神社といえば、宮之浦にある『益救神社』。

島外から遊びに来た友達曰く、縄文杉に並ぶパワースポットなのだとか。

『パワースポット』がイマイチピンとこない私ではありますが、今回はパワースポットマニアの間では人気の『益救神社』をご紹介します。

ちなみに『屋久島大社』とは違う神社です。

どうして屋久島なのに益救(やく)なのか?

「屋久島の神社なら、『屋久神社』じゃないの?どうして『益救神社』なんだろう?」という疑問を持つのは私だけでしょうか?

そこで調べてみました。

残念ながらはっきりしたことは分からなかったものの、『益救神社』の由来はそこから来たのか〜と納得することができました。(私的には。)

とはいえ改めて『縄文杉』や『益救神社』のみならず、『屋久島』自体がパワースポットと呼ばれる理由が理解できたように思います。

掖玖島(やくしま)名神としての『益救神社』

実際に益救神社に立っている説明を読むと、1,100年前に醍醐天皇の勅令によって、式内社(国内の格式ある有名神社)を調べたところ、すでにその3,132社の中に掖玖島(やくしま)の名神として『益救神社』が記載されていたとのこと。

式内社の中で、南島では『益救神社』が唯一だったことから、昔から重要な神社として認識されていたようです。

またまた違う字の『屋久島』でない『掖玖島』(やくしま)

ここでも『屋久島』でなく『掖玖島(やくしま)』と出て来て、「ん?」となりましたが・・・。

そもそも屋久島がどうして『ヤクシマ』なのか?

歴史上初めて屋久島が出て来たのは、中国の隋の時代の書物の中。

屋久島から連れて来られた人が使っていたものを見て、遣隋使であった小野妹子(おそらく)が、「夷邪久(イヤク)の人が使っているものだ。」と言ったという記載があるのだとか。

その後、日本の歴史に屋久島が登場するのは、7世紀前半の推古二十四年。

『掖久』・『夜勾』・『掖玖』として登場。みんな『ヤク』の読みです。こんなに色々な漢字が使われていたのですね。

ちなみにその頃からすでに、『タネ』(種子島)、『ヤク』(屋久島)、『トカラ』(トカラ列島)、『アマミ』(奄美大島)の音で呼ばれていたのが私的には驚きでした。

ということで残念ながら、屋久島のヤクと益救神社のヤクはあまりつながりませんでした。(^_^;)

かつては『須久比ノ宮』と言われた『益救神社』 ヤクと読むのは実は後付け?

 

益救神社 仁王像 並んだ仁王像は珍しい

 

益救神社は『山幸彦』である『天津日高彦火々出見尊』(あまつひこひこほほでみのみこと)を祀り、『一品宝珠大権現』とされ古くから広く尊崇されていたとか。

別名『須久比ノ宮』とも呼ばれ、『宮之浦』の地名はこれに由来。

『益々救ってくださる神様』という意味で、『救の宮』から、以前は『益救』を「マスクヒ」、「スクヒ」と読んだそう。

ということは、『益救神社』は元々は『マスクヒ神社』や『スクヒ神社』と言われていたのを、屋久島の『ヤク』の音だけが後付けされて、『ヤクジンジャ』と言われているってことなのでしょうか。(あくまで私の推測ですが。)

ならば、古くから使われてきた『掖久』・『夜勾』・『掖玖』などの『ヤク』と繋がらなくても、なんだか納得ができます。

 

神社の中はこぢんまり でも清々しい空気

 

益救神社 境内前の空気が清々しい

 

お正月はかなり盛大に太鼓をしたりして、出店も出て賑わいますが、普段は人気もなく静か。

境内前は清々しい雰囲です。手水舎や絵馬が吊るしてあるなど、いたって本土の神社と変わりない造りです。

ですが、南国感漂うガジュマルやソテツなどの木々が、神社にあるということが私にはとても新鮮でした。

 

そして面白かったのがおみくじの入っている境内右の入れ物。屋久杉なのだとか。上に設置されている赤い小さな神棚?がかわいかったです。

友達は大はしゃぎで写真をとっていました。笑 こちらもなにやらありがたい雰囲気。

貯金箱のようになっている口ところに100円を入れて、下のあいている所からおみくじを選んで引きます。

下からおみくじを引きます。

 

境内に向かって右側にある建物でお守りや絵馬も購入することができます。

宮之浦の中心にほど近く、宿泊する場所によっては歩いて散歩がてら行ける場所ですので、ぜひ行ってみてください。

ぜひ益救神社のパワーをいただいて元気になって帰ってくださいね。

 

益救神社 地図